明日公開「ダヴィンチ・コード」

嗚呼!連休2日目の日が沈んでいく・・・。
「人間の幸せは待つ時間にこそある」
と言いますけど、ほんと連休前の夜が一番楽しくて、終わってしまうとあっという間な感じですね。
明日からまた「きょうもおつとめご苦労さん!」な日々ですよよよ(泣)。
休み明けにしんどい土日ってのはいいんだか悪いんだか・・・。
ですでに各方面で腐るほど話題にのぼってて、もう公開前にして食傷気味の感はありますが、いよいよ明日日本公開ですねー。

ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻 3冊セット

ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻 3冊セット

ダ・ヴィンチ・コード」鳴りやまない拍手

 「第59回カンヌ国際映画祭」がスタートし、オープニング作品に「ダ・ヴィンチ・コード」(ロン・ハワード監督)の上映で11日間の幕を開けた。冷たい反応が目立った前日のプレス試写とは一転。上映後はスタンディングオベーションが起きる盛り上がりぶりだった。

 2時間32分の上映が終わると、観客はスタンディングオベーションでたたえた。拍手は5分以上も鳴りやまなかった。上映会場の「グランドシアター リュミエール」には観客が入りきらず、急きょ隣接会場も開放された。16日に1回、17日には3回のプレス、バイヤー向け試写が行われ、公式上映も含めると2日間で計6回上映。オープニング作品が2会場で上映されるのも異例だ。

 キリスト教の総本山バチカンは映画を見ないよう訴えるなど、公開前からさまざまな物議をかもしている。上映前の会見でも、宗教関連の質問が集中したが、トム・ハンクスは「僕は(キリストの時代には)生まれてないから分からないよ」とさらり。ロン・ハワード監督(52)は「作品はフィクション。エンターテインメントとしての質が高ければ高いほど、反響もある」と歓迎の様子だった。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060519-00000062-sph-ent

公開前日にカンヌで一般公開とは・・・さすがに大作、スケジュールあわせてますね。
各メディアへの告知も相当力入れてましたから、国内外で大勢の方が劇場に足を運んでご覧になるんでしょうね。
まあ私はご覧になれない口ですが(苦笑)。
以前当方とリンクしてくださってる舞方さんのブログで舞方さんはすでに原作のほう読まれたとおっしゃってましたが、私は未読なんですよね。
というか読む前に友人にネタばらしされちゃって読む気がなくなったんですが・・・、なんで一応オチ(?)は知ってます。
正直ふーん・・・で?って感じでしたが。
まあただ私にネタばらしした友人も私と同じ陰謀史観の持ち主なんで
「こう史実とか有名な人物・作品の裏に隠された真実!みたいなところ、着眼点と発想が面白かった」
とのたもうておりましたが・・・まあその友人には以前「シックスセンス」のネタばらししてやったんでおあいこなんですけどね(笑)。



こういう歴史上の事実や誰もが知ってる作品から物語を作り上げるって面白いですよね。
日本の漫画だって、「宗教の文献」とか「神話のエピソード・設定」を取り込んだ・モチーフにしたものが多いですし、
「名前だけ借りた」程度のものから、「作品世界全てが古典・神話の独自新解釈」みたいなものまで。
そういえばエヴァンゲリオンも「旧約聖書」の内容を下敷きにした物語でしたし。
それだけ、サーガとか伝承、古くから伝わる物語てのは、後世の我々の空想が介在できる包容力と、空想的探究心を刺激するロマンに満ちているんですよね。
私は無神論信者なんで、特定の宗教には染まらない
「典型的信仰チャンプルーな日本人」
なんで、特に経典的なものは読まないんですが、宗教の寓話や記述、物語の体系性と独自性はすごいと思います。

「自然の恩恵と同時に自然の恐怖を当てはめた神の存在」
「時に訓話的、時に理想的な世界を描く、戒めと憧れを含んだ逸話」
「誕生から長い歴史を経て学術的・思想的に磨き上げられた奥の深さ」

なんていえばいいんでしょうか?
信仰云々はおいておいて、こういうものって私のような無神論教徒には
「古代の空想小説」「数千年前のSF」
として面白く読めるんですよね。
経典としてだけでなく、面白い小説としても読める、というかなんというか・・・。



ただちょっと日本人の私にはわかり難い感覚は、
「映画に対するキリスト教徒の方々の反応」
ですよね。
記事にもあるように、事前の報道関係のレビューでは酷評されたようですし、世界各国のキリスト教国でも非難囂々。
マニラ市では市内での上映を禁止したそうですが・・・。
映画の内容が
「明らかに悪意を持って特定の人物を攻撃あるいは中傷する」
ようなものならば、怒りは当然でしょうが、別にそういうわけではないんですし。
信仰に関する侮辱ととるなら、見なければいいし、むしろ過剰に反応するより
「ただのお話、取るに足らないフィクション」
と大人の対応するのが
「宗教的寛容の精神」
というものじゃないでしょうか?
今の過剰反応は、かって迫害を受けた側が今度は迫害に回る、そんな風に感じてしまいます。
でも、やはりキリスト教徒の方にとってはすごくシリアスな問題なんでしょうね・・・。




さてこんなところで、ゲームでもやろっと!とその前に「ボトムズ」借りてきたんでまずはそれから・・・。
プラモも作りたくなってきた・・・うずうず。まあおいおい・・・。
ではこれで、コンゴトモヨロシク・・・。