キャラクタービジネス。

ういー、疲れた・・・。最近主に自己都合で寝不足な私(笑)。
今日も仕事中にくらくらしちゃいました。いかんなー、今日は早寝しよ。
でもほんと仕事しながらだとゲームしてられないなー。といいつつアニメは見てるんですが(笑)。
なんかの論で
「今まで需要を支えてきた30〜40代の人達がゲームをしなくなるからゲーム市場は先細り」
って言ってましたが、そろそろ私もあんまりやってられないのかな・・・。
一頃ほどの情熱・体力がなくなってるなあと実感してます。10年前ぐらいなら
「人気ゲームでたら完徹で、そのまま仕事直行!」
なんて事結構あったんですが・・・、それこそ
「ゲーム命!ゲームが恋人!食事抜く事はあっても、毎日のゲームは欠かさない」
って感じで(苦笑)。今じゃ1週間でゲームするのは2〜3日ですからね。
「充分だろ!」という突っ込みはなしで(笑)。
最新ゲームの情報にも疎くて、店頭で
「あ!これ出てたんだ」
と驚く事も多いし、そういうのもやる事が少ないですね。だもんで昔語りが多くなるんですが・・・。
歳だねー・・・おっさんにはなりたくねーや・・・。
友人がこれ見たらびっくりするでしょうが・・・
「お前からゲームを取ったらなにが残る!」
って(笑)。失礼だなー、「エロゲとエロ魂」が残る(笑)。
最近エロゲが不作なんですよねー・・・。そう言う所も今一つ盛りあがらない要因かな?



で前置きというかおっさんの愚痴はおいといて、タイトルのこの話題

ホビー伝説:キャラクタービジネスの40年 第1回
◇なぜ「キャラクタービジネス」なのか

 「キャラクタービジネス」という言葉が、ずいぶん身近になった。

 アニメや漫画の人気キャラクターが大きな商材になることは、日本では『鉄腕アトム』以降に一般化し、『機動戦士ガンダム』のガンプラブーム等を経て、これまでにも十分に認識されていたはずであるが、ここ数年の動きは、やはり90年代末のポケットモンスター』の大ヒットが一つのきっかけであろう。そして現在、アニメや漫画、ゲームが国際的に売れるコンテンツとして脚光を浴び、その中核にあるキャラクターの商材としての価値があらためて注目を集め、「ビジネス」としての価値と可能性が問われるようになったのである。


http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/manga/manganews/news/20060127org00m200079000c.html

今のおもちゃビジネスの中心・メインと言って良い
「キャラクタービジネス」
の話ですね。詳しい内容はリンク先で。
巡回で見かけたんですが、えらそうに言うつもりはないですが、まあよくある分析かなって感じですが、いくつか、分かりきってた事だけどなるほどなあって部分がありましたね。

キャラクタービジネスというと、つい子ども向けの玩具や、いわゆるおたく向けのコレクターズアイテムなどを思い浮かべるが、ことビジネスとしての強みを考えると、そうとも言い切れないわけだ。トトロに代表されるような、子どもから大人まで幅広く受け入れられるキャラクターの存在や、ビックリマンに代表されるような、子ども時代に夢中なったキャラクターを大人になっても愛することができることといった、多面的多層的な観客を有しているところが、昨今のキャラクタービジネスの強みであり魅力なのだろう。

わかりきった事じゃん!って感じですが、そうでしょうね。
以前知人と話したんですが、

「なんでけっこう不細工なキャラが受けたりするのかな?」
「当たり前じゃん!ほんとに「超かわいいー」って物は結局飽きられるのも早いんだよー。
むしろ「ブサイク」だったり「ちょっと不気味」だったり(今で言うきもかわいーですか?)した方が長く飽きないし、愛着が湧くんだよ!」
「そんなもんかね?」
「そうだよー。アイドルなんてコロコロ現れては消えて行くし、ロングヒットのキャラクターって結局どこか‘ブサイク’‘不気味な’所あるでしょー。
ミッキー=「2足歩行するねずみ」
プーさん=「腹ぺこヒグマ」
トトロ=「まんま妖怪」

だろ?」
「たしかにそうだけど・・・」
「美人が声かけにくくてもてないのと一緒だよ。ある程度かっこ悪い・身近・自分に近いけどかわいいって物のほうが庶民は親近感・安心感持てるもんよー
‘美人がたまに観賞するプレミア物’
で滅多にないから大事に取っておくのに対して
‘ブサイクは日用品として身近においておく消耗品’
だから、使いやすくて愛着の湧くものが良いだろ?」
「うーん・・・でもそれってさあ

もてないブサイクのひがみなんじゃ?


「めそっ、げふふんげふふん!」


(以上友人との会話より抜粋)

って感じで(笑)。昔からキャラクター物には

「きもかわいー♪」

って言葉が生きてたんですね。そう考えると今トレンド追うには
「女子高生をリサーチしろ!」
が合言葉らしいですが、そういう見方は正しいのかもしれませんね。
まあ上の会話はあくまで私見・偏見なんで気を悪くなされませんように・・・(ブサイク代表より)。



それともう一つ、ひっかかった部分

ある時期から、キャラクターが登場する「本家」であるところの作品、すなわちアニメ作品や特撮作品そのものを、商材がコントロールするという現象が出てきたことである。

 例えば、テレビアニメ黎明期の65年に放映が開始された『オバケのQ太郎』は、放映当初から視聴率30%を超え、菓子をはじめとする多くの商材にキャラクターがプリントされて大いにヒットしたが、放映開始から約1年半後に打ち切りに近い形で放映が終了した。放映の最終クールでも視聴率は落ちていなかったのだが、打ち切りの要因は商材の売り上げ低下だったという。
放映が長引くと、いくら「本家」のアニメ作品が視聴率を稼いだとしても商材が売れないために、他の作品に切り替える(商材もリニュアルされる)必要があったのだ(ちなみに後番組は同じ藤子不二雄原作の『パーマン』で、これも放映期間は1年)。

 そして、『オバQ』の事例は、以後、『ウルトラマン』シリーズや『仮面ライダー』シリーズ、『マジンガーZ』とその続編の『グレートマジンガー』の制作といった形で、作品制作の形式に如実に反映されている。
結果として、作品を制作するプロダクション、作品を発注する放送局、制作費を提供する スポンサー(ここに商材メーカーが所属する)、そして70年代から参入してきた広告代理店を含めた一つの制作体系が形成された
これにより、商材を手掛けるスポンサーが、作品内容やキャラクターの造形、そしてシリーズ構成に至るまでコントロールするようになったのである。これは、男の子向けの商材にとどまらず、『魔法使いサリー』から『美少女戦士セーラームーン』へとつながる女の子向けの商材でも、基本的には同様であろう。

これはアニメ界の発展における良い部分と悪い部分を内包した事実ですよね。
「アニメに連動したキャラクタービジネスへの展開」
という要素があってこそ今のような
「大規模なメディアミックス、広域への広報・放送」
が可能になった訳ですし。
基本的に視聴者は低年齢層が中心のアニメ作品において、通常の放送に対するスポンサーは非常に付き難いものだったはずです。
広い年齢に見てもらう事がCMの重大な要素の一つである事は間違いないし、まして相手が
「購買力の弱い低年齢層」
ではスポンサーが限定されますよね。
そう言う事で結局
「番組と連動した商品展開=キャラクタービジネスとの結び付き」
ってのはある意味必然だったのかもしれませんね。
「作品を見ている層にリアルタイムに直結する=放送と同時に購入してもらう商品を広告すれば良い!」
ですから。
購買者からしたら
「あ!あのヒーローが使ってる武器だ!欲しいなあ!」
ってなるし、それは結局スポンサー側からすれば
「番組全体で商品のPRしてもらえる」
のと同じ事になる訳ですし。
オリジナル商品を一から広報・普及させる手間を省ける訳ですし。



でも同時に功罪の‘罪’の部分もありますよね。
引用で言われてる
「作品その物を、商材がコントロールする現象」
ですよ。
確かに制作サイドは潤沢な資金・面倒な事務作業の軽減が出来たでしょうが同時に
「資金と一緒に口出し・スポンサーの意向も受けなければならなくなった」
んですよね。オバQの事例は正にそうですし、特撮物なんかの
「一定クールごとの仕様切り替え・バージョンチェンジ」
「定期的な作品の終了・新番組への更新」
「登場アイテムのスクラップアンドビルド

ってのは正にその典型的な弊害ですよね。
特撮物はそういう問題を

「一部・二部形式。新たな敵の登場」
「それに対応したバージョンアップ・パワーアップ」
「新ヒーローの登場」

なんて形でフォローしましたが、その煽りくらったのは視聴者側ですよね。
せっかく面白くなってきたのに

「思い入れが出来た頃にライダーの仕様変更」
「イメージと違う新キャラ登場」
「人気絶頂なのに打ち切り、中途半端なストーリー展開」

なんて事になるんですよね。おまけに保護者からしたら
「また新しいおもちゃ買わされるのかよ・・・」
って事になりますし(笑)。



私自身も子供の頃なんども
「なんでこんなに面白いのにここで終わっちゃうの!?」
って思う事ありましたが、今にして思うと背景にはこういう
「大人の事情」
があったんですね。
「合体変形ロボ」が流行った事ありましたが、次々と新しい物・ギミックを増やそうとして、最終的に
「16だの32だのの数の(全部にパイロットがいる訳で・・・)合体」
になってしまって、メカ・ストーリー共に訳がわからくなってしまって、袋小路に入ってしまって、やがて衰退していったって事がありましたが・・・。
そういうのも所謂

「それはエゴだよ、スポンサー!」

だったんでしょうね。セーラームーンなんかだと舞台が日常であるが故に投入できるギミックが限られてましたから

「主人公キャラたちの定期的なバージョンアップ」
「キャラをプリントしただけのあんまり関連性のない商品」

で生き延びてましたね。最もあの作品の場合は「大きなお友達」も惹きつけて新たな層を開拓したんですが(笑)。
そんな事考えると、「ガンダム」は
「MSという複数形・量産型の物を‘新兵器’という形でリニューアル」
というやり方で
ガンプラ
というメガヒットを生み出す事に成功しましたね。それまで
「1回限りのやられ役=人気がない敵役メカ」
を系統立てた分類・系譜、バリエーション分けして存在感を持たせましたよね。
「主人公メカは固定(無論バージョンアップはありましたが)」
して、それに対する敵キャラを引き立たせてました。
それまで得体の知れない異形の怪物とか、理論完全無視の生物的メカだった敵キャラ像を払拭して
「敵ロボットのリアルさ・カッコ良さ」
ってものがガンプラの多彩な魅力・人気につながりましたよね。
ザクマニアとか、アッガイたんとか(笑)。
ちなみに私の部屋には
「1/144ザクが12体針金で天井からぶら下がって」
ます(笑)。当然指揮官タイプ混成で(笑)。
ただガンプラが大ヒットしたのは作品が終わった後でしたから、そう言う点では
「最初の作品放送時にさほど期待されなかった・掣肘されなかった事」
がよかったのかもしれませんけど。
それでも富野監督は最初スポンサー受けを考えて作り始めなければならなかったようですね・・・。
もっともそれ以上に富野作品の場合
「監督自身の気まぐれ・ぶれが如実に反映」
されちゃう事が多いんですが(苦笑)、それが良いって人もいますけど・・・。



さてこんなところで・・・うぎゃー、結局こんな時間か!
ねよ・・・、明日行けば明後日休み、ファイト!ガンオケガンオケ・・・。
それではまた、コンゴトモヨロシク・・・。