そして伝説へ・・・。それが伝説の始まり。ドラゴンクエストIII そして伝説へ…出版社/メーカー: エニックス発売日: 1988/02/10メディア: Video Game クリック: 112回この商品を含むブログ (51件) を見る
先日コメントいただいた
grendyさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/grendy/20050905/p1
(アンテナに乗せさせていただきました)で述べられてた「ゲーム論」、非常に素晴らしかったです。多くの方が読んだら納得されると思いますし、同じ憂慮を抱えていた方も多いと思います。とにかく読んでみてください。
「たかがゲーム、されどゲーム」
な熱い、素晴らしい「論」です。「感動したっ」です。言いたい事全部言ってくれたぜって感じです。
で私も触発されてちょっと「ゲーム」語ろうかと・・・。長くなりますがお付き合いを。
そもそも「ゲーム」とはなんでしょう。いろいろ捉え方はあるでしょうが、私はゲームが「遊び」の1つとして
「想像力に色・形・実体を持たせたもの。極端にいえば、無形のものを無理やり型にはめる存在」
であると考えます。
たとえば「勇者が敵の手から王女様を救い出す物語」と言われるとどう想像しますか?
ある人は「美男美女の勇者・王女」思い浮かべるかもしれません。またある人は「褒賞目当ての勇者」を思い浮かべるかも知れません。またある人は「実は勇者が魔物で人間にさらわれた魔物の王女助けに行く」というストーリーを思いつくかもしれません。
とにかく「十人十色・千差万別」なストーリーが出来るでしょう。
それはつまり
「想像力は無形かつ無限である」
という事実から来ている訳で「万人に絶対共通のビジョン」なんてものは存在しない訳です。
ですがそこで「ゲーム」というものは実体化して「遊ぶ」為に、あるテーマに対する
「普遍的な認識・もっとも多い解釈・類型的なパターン」
というものを抽出して実体化するわけです。
それは「魔王倒す勇者」だったり、「危機の国の為に旅立つ王子」だったりする訳ですね。
それは言いかえると
「最初からゲームと言う物はある程度の「枠」=「限度」にはめこまれている」
とも言えると思います。その「枠」には社会倫理とかROMの容量なんてものも含まれますが。
「悪の限りつくす非道勇者」とか「永遠に終わらないゲーム(ネトゲ除く)」
なんてものはないですよね。
でそれ踏まえて大事なところなんですが、最初から「枠」におしこめた以上そこからは
「最大限プレイヤーの想像力を働かせる・尊重する」
ゲームスタイル・システムでないと駄目だと思うんです。
最低限の、破綻しないゲームシステム
バックボーンとなる世界観
大筋のストーリーとキャラクター
それだけでいいはずです。それ以上無駄な・華美な装飾はいらないはずです。もちろんプレイする上で「ご褒美・達成感」というものは必要だと思いますが。「ご褒美」は
ボス倒した達成感でも良いし、感動する音楽・ビジュアル・EDでも良いし、友達に「オレここまでいったよーー」と自慢できる事でも良い訳です。
「ドラクエⅢ」というゲームがありました。説明不要と思うので省きますが私ぐらいの年齢の方で知らない人はいないでしょう。外国人でもないかぎり。
練りこまれた世界観(Ⅰ・Ⅱを肥やしにして)
完成されたシステム(転職はほんとバリエーション豊富でした)
確かなシステムに支えられた自由度の高い攻略のスタイル(安全に行くも良し、ぎりぎりでチャレンジするも良し)
全てが「圧倒的破壊力」でしたが、特に素晴らしいと思えるのは
「過剰にプレイヤーの想像世界に踏み込まないシンプルさ」
であると思います。(無論そこには「容量」の問題もあるとは思いますが。)
プレイする人の中で「戦士ライアン」は時には「歴戦のつわもの」かもしれないし、またある人は「すぐ死ぬひ弱な戦士」かもしれないし、あるいは「魔法戦士」かも知れません。
そしてそれぞれ各人の「想像」のなかでは「病気の母の為に戦う戦士」かも知れないし、あるいは「勇者にくっついて立身出世狙う野心家」かも知れません。
とにかく乱暴に言うなら
「遊ぶ場所・想像力働かす場所は提供したから、後は皆さん勝手にやってね」
というぐらいの「懐の広さ」が「ドラクエ」の素晴らしさだと思います。
でここで話題転換。上を踏まえて「最近のゲーム、特にRPGの現状」を考えると
「出来るだけ「枠」を狭くし、制限を多くしている」
ように感じるんです。
ROMが普及したことで、昔より劇的に容量と言う「枠」は拡大したのに、却って
「想像性・自由度の枠」
というものはどんどん狭められて行っているような。
大きくなった容量につめこまれるのは
映画みたいな高品質が売りのアニメーション・ビジュアル(大ボリューム**分収録なんて謳い文句は見飽きました)
超豪華なBGM(有名アーティスト起用も多いですよね)
キャラボイス(フルボイスとかなるとそれだけで大変な音声データが・・・)
なんて要素。無論すごい進歩なんですが、これらの要素裏返せば
「ビジュアルに合わせたストーリーの一本道化・硬直化」
「BGM、キャラボイスによって固定されてしまうキャラのイメージ」
という状態な訳で・・・。そこに各人の「想像力」が介在する余地はないですよね。
「制作サイドの思惑通りにやらされて、台本通りにEDまで、ボタン1つでプレイOK。」
なんてゲームやるぐらいなら再生ボタン押して「ハリウッド映画」でも見てたほうがまだ楽しいでしょう(つまんない映画は駄目ですが(笑))
ほんとは「綺麗なアニメーション・CG」は「ボスキャラ倒した時」とか「誰かと出会えた時」なんてイベントの「ご褒美」だったはずです。
それがあるから「やり遂げた・達成した」という実感が沸く
という「ご褒美」。そしてそれは決して大げさ・華美なものである必要はないはずです。むしろシンプルな方がじーーーんとくることが多いはずです。
ところがいまは本末転倒に
「ビジュアルの合間に・ついでに・繋ぎに・時間稼ぎにロープレする。ビジュアルのおまけにロープレする」
なんてことに・・・。
ゲームはあくまで
「能動的に作品世界に参加・没入・時に干渉、改変する」
もので
「ただ受動的に垂れ流されたものをうけいれるだけの」
ものではないはずです。
最近の所謂「FF」とか「ビジュアル偏重」のゲーム見てるとそれらが主張する
「映画みたいなゲーム」という言葉が言下に
「アイデアが無くなった・革新的な作品作れない・ある意味あきらめた」
という「ゲーム開発へのギブアップ宣言」に聞こえてしまいます。
「ゲーム性追求はもう無理だから、やーーーめた」
みたいな・・・。
嗚呼、寂しいな・・・。だから安易な「リメイク」はやっちゃうんだろうな・・・。
まだまだ面白いもの作れるはずだし、そういう力は「業界」にもあるはずです。
今の「閉塞・硬直した冷めたゲーム業界」の活性化を切に願ってます。
だって「面白いゲーム」したいんだもん。
そこにつきます(きっぱり断言)。
ふいー、疲れた・・・。長々書いてきましたがこんなところで。長文でいまいち論旨がまとまらなかったんですが、言いたいことはだいぶ言えたような。そんな訳でいずれ補足もしたいと思いますが、今日はこれにて、コンゴトモヨロシク・・・。