敵は本能寺にあり!

おはようございます。
昨日はオランダVSセルビアモンテネグロだけ見て寝たんで、今から
「朝のニュースと録画したビデオのゴールシーン突き合わせ作業」
する予定ですが。
イラン前半は同点だっただけに惜しかったなあ・・・。
他2試合は両方とも
「強豪が早い段階で先制して1−0で順当勝ち」
っていう展開としてはつまんないものだったんで、無理に見なくて良かったな、と。



でそういえば、昨日当ブログとリンクしてくださってる「舞方雅人の趣味の世界」でネタになってましたが、
日曜夜大河ドラマ功名が辻で、本能寺の変にて信長公が死ぬくだり放送してました。
信長役の舘ひろしさんが私にはどうしても「あぶない刑事」のイメージと重なっちゃって、
「銃をぶっぱなすシーン」
は、
「おいおい、時代劇でも刑事ばりに銃を乱射かい!」
って思わず突っ込んでしまいましたが(笑)。
そういや柴田恭兵さんも以前大河で上杉謙信役」演じられた事ありましたけど、
あの時はさほど違和感感じませんでした。
でもなんとなくおっさん的には最後まで
「舘信長」
はしっくりきませんでしたね・・・。まああくまでおっさんの主観です。
国営放送で「日本興〇損保!」とか保険会社のCMばりに叫びそうでどきどきしたってのもあるかも(笑)。
「まさかの時代に備えて」
とかいって、ドラマの中ではまさかの謀反にあっちゃったわけですが(笑)。




それはさておき、信長って言うと、某ゲームの影響もあって、人気の非常に高い武将ですよね。
特に若い層にはカリスマ的人気があるようで、
「時代に逆らった革新者」「旧体制を打破せんとした挑戦者」
桶狭間のような乾坤一擲の大博打に出る度胸と思いきりの良さ、
至弱にして至強を倒したそのドラマ性(判官びいきの日本人に受けるポイントでしょうね)」

なんてのが支持の理由ですね。




でその信長公、最後が
「謀反をおこされて、天下を目前に夢破れる」
っていう悲劇性も人気がある部分でしょう。
でその謀反ですが、舞方さんのブログでも
明智光秀は何故裏切ったのか?」
って部分に触れてましたが、当事者に心境を聞く訳にもいかないんで、
それは永遠に答えの出ない‘謎’なんでしょうね。
ただ私は光秀の謀反

「必然的生存本能のなせる業」
「信長陣営の武将達の誰もが抱いていた自衛意識の発露」

だと解釈してもいいのではないか?と思いますね。



私の好きな東洋史古代中国を引き合いに出すと、

「劉氏の漢、李氏の唐という長命王朝出現の前には必ず
戦乱の時代→統一王朝誕生→その王朝が短命に終わる
という‘布石’がある」

んですね(無論全ての長命王朝がこれに当てはまるわけではないですが)
でその背景には

「打ち続く戦乱の終結を願う民草の願い」
→「それを受けての統一王朝の誕生」
→「同時にその王朝は、戦乱期のうらみつらみ、分裂国同士の心理面・制度面での断絶の帳尻合わせを請け負う事になる」
→「でいわば戦乱期の負の遺産の‘帳尻合わせ’で短命に終わる」
→「そして短命統一王朝という濁流が全てを押し流した後に新しい王朝が長命政権を築く
いわば短命政権は‘当て馬’にされた形」

という構図がある訳で。
例えば漢の前の短命王朝‘秦’
「度量衡の統一や郡県制の制定などのそれまでの分裂を埋め合わせる統一政策」
を行いましたけど、それがあまりにも急激だったので、反感を買いました。
でやがてそういう反感がかっての滅ぼされた国々の人々の遺恨と結びつく形で反乱が起きて、やがて秦は滅びます。
その後、ちゃっかり後釜に座った漢・劉邦
「秦という‘征服者に対する被征服民の怒り’を利用して秦を打倒した、
でその後、秦が全土統一にむけて作った制度のレールを踏襲、利用して長命王朝を築いた」

訳で・・・。
この構図は
「唐の前の隋(遣唐使、遣隋使、でおなじみのやつです)」
でも似たような形なんですね。
いうなれば
「短命政権は長命政権誕生に至る‘調整期間、当て馬’」
のような形なんですよね。



で前置きが長くなりましたが、
私は
「信長を巡る様々な人物の相関関係」
ってのもこの‘当て馬’の構図に当てはまるのではないか?と思うんですね。
長きに渡る戦国時代、誰もが
「安定した世の中」「戦のない時代」
ってのを渇望してたはずです。
でもその統一国家誕生の為には
「分裂した各国の人心・制度の再統一を行う」
「各武将の‘野心’を粉砕するか、あるいはとりまとめなければならない」

訳で、その事は
「統一の為とはいえ、強引な手段、旧制度に対する大規模な破壊を行う」
「でそれは多くの人々の反感を買う事になる」

という部分が伴うんですよね。
そしてそこの部分で織田信長‘破壊者’としての側面を多いに発揮しましたよね。
楽市楽座とか商業活動の保護などの部分もありますが、
やはり信長の統一活動って言うと
比叡山の焼き討ちとか一揆集への苛烈な弾圧」
に象徴される
「徹底的な反対者・旧体制への弾圧・破壊」
の部分ですよね。
そして信長はそういった「敵対する者は容赦なくぶっ潰す強引なやり口、圧倒的なカリスマ」
かってのどの戦国武将より天下に近付いた男になった訳ですが、
同時にその過程でまとわりついた
「統一活動での負の重荷」
が大きくなって行ってたでしょう。



でその‘負の重荷’を一番感じてたのは誰あろうきっと
「信長の家臣達」
だったのでは?と思うんですね。
下克上、勝ったものが正義の成上がり社会、
信長という勝ち馬にのって立身出世を遂げてきたけど、
このまま無茶なやり方を続ければいずれ信長は討ち倒される
その時家臣として信長派とみなされれば、一緒に打倒されかねない、
それならばいっそ自らの手で
「暴虐の主君を討つ!」「主家の非をただす!」
という名目で謀反した方がましだ!という考えが少なからず信長の家臣の中にあったと思うんですね。
そこまで極端な考えは少数派としても、少なくとも直接謀反は考えずとも
「信長公のやり方、このまま続けばいつか・・・」
「こんなやり方続くはずがない!」

って閉塞感、危惧を抱いている家臣は多かったはずです。
で結局光秀が謀反する訳ですけど、その当時の状況下での有名人の心理推測で(かつ私の独断的思いこみで)コメントすれば多分こんな感じでしょうね

光秀:「これまでの厚遇はありがたきものなれど、あまりにその強引かつ気まぐれなやり口にはもはやついていけん。万民の怒りに成り代わり、仏敵に誅を下さん!
(このままでは私の身ももたん、成り上がり者にのさばらせるのもここまでだ!)」

秀吉:「なに!光秀謀反!おのれ、殿の仇!
(しめた!とうとうやったか!大殿死んだのはつらいけど、これでわしにもチャンスが!しかも今なら悪い部分は大殿があの世にもってってくれるし、謀反の汚名は光秀が被ってくれるし、こっちは謀反人を討ち取ったという手柄までとって後継者争いに大幅リードできるやんけ!)」

家康:「ふぉっふぉっふぉ、とうとう光秀が・・・。
これで風通しが良くなったのう・・・あとは地ならしがすむのをじっくり待つとするか・・・
(まだ統一には軋轢が多い、ここは秀吉あたりにもう一仕事やってもらってから・・・)」

なんて感じでは(笑)。
秀吉、家康なんかはきっと直接‘主君殺し’の汚名被るの避ける為に
「誰かが謀反起こすの待ってた」
と思いますね。
「天下統一・平和な時代は万民の願い」
ですが、そのままそこに至る統一の事業を続けるには
「信長には敵が多過ぎた」
訳で、統一は無理、あるいは成し得ても非常に安定を欠いたものになる、
じゃあ信長以外に誰か統一を成し得る勢力があったか?というと、
それもなかった。
「不安定な最大勢力には外敵が多く、統一には不安が付きまとう」
状態だった。そんな不安定な状況で、仮に信長公が‘外敵’である
一揆集の名もなき雑兵に暗殺された」
なんてなれば、その後は
「遺臣達の後継者争い、どんぐりの背比べ」
になってたでしょうね。
信長以外に統一を成し得る勢力もなかったし、そうなっていれば
「せっかく統一に近付いた勢力は分裂あるいは瓦解」
「更なる混沌が続く」

事になってたはずです。
統一への近道、という点では
「大勢力を打ち倒すには内側からの力で!」
といいますけど、
「信長という強行あるいは凶行路線からある程度の緩和路線への内部での首の挿げ替え」
が一番だったでしょう。
でそうするにはそこで謀反!ってなると、
それには謀反=裏切り行為って事で、
信長恩顧の家臣の反発が出る事になる、なら
「謀反人を討ち取って、その功もって後継者の座につく」
ってのが一番反発の少ない‘乗っ取り’のやり方だったと言う事なんではないでしょうか?



でその後の流れは皆さん御存知の通り、
結局、光秀を討ち取った秀吉が後継者最有力候補に踊り出て、
その秀吉は信長の統治期よりも仏教勢力や敵対勢力に対して緩和した政策を取って、
統一路線を継続し、いうなれば
「信長という濁流が地ならしした後にちゃっかりのっかる形」
で天下統一を果たしました。
さらにその後、秀吉の死後、‘関が原の戦い’という
「国内の限定された領土巡る統治者(後の藩主)の淘汰・生存競争」
「椅子取りゲーム」

経て、家康が徳川幕府、江戸時代という
「長命王朝」
築く事になりますよね。
さしずめ
「信長が耕し、秀吉が苗を植えたところで、家康が刈り取った」
という所でしょうかね?



以前、日テレの
時空警察
って番組で、
「光秀の謀反は家康との密約に基づくものだった」
ってのがありましたが、真偽の程はさておき、当時の状況からして、
「家康が光秀に謀反そそのかす」
ってのはありえない事じゃないですよね。
秀吉も‘不意の謀反、主君の死’に際してあまりにも手際が良かったですし。
秀吉の立場からして謀反を容認はしなかったかもしれませんが
「謀反の実行をあえて黙認した」
って事は充分ありうるんじゃないでしょうか?
「信長の死」ってのはある程度、少なくとも
「秀吉・家康・光秀、他一部の織田家臣にとっては予測できた事態、もっと言えば
自勢力を安定させる為の予定調和」

だったんじゃないかな?と思いますね。



以上まあ全て憶測・与太話に過ぎないですし、歴史上の出来事には他にも様々なファクターが絡んでるとは思いますが、陰謀史観歴史観のおっさんとしては、こんなこと考えちゃうんですよね。
お目汚しとは思いますが、こういう
「かってに歴史の裏側考える」
のが好きなもんで・・・御付き合いいただいた方、ありがとうございました。