仰木前監督死去

おはようございます。
スポーツ好きな私にはこのニュースはショックでした・・・。
昨日の夜、いきなりニュースで見た時はびっくりしました。
引用元:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051216k0000m060157000c.html

訃報:仰木彬さん70歳=前オリックス監督

プロ野球近鉄オリックスの監督として3度のパ・リーグ優勝を果たし、96年にはイチロー外野手(現マリナーズ)らとともにオリックスを日本一に導いた仰木彬(おおぎ・あきら)さん=現オリックス・シニアアドバイザー=が15日午後4時10分、福岡市内の病院で呼吸不全のため死去した。オリックス球団が16日未明、発表した。70歳だった。葬儀・告別式は故人の遺志と遺族の意向で密葬として行う。球団葬は未定。

 現役引退後は、西鉄で2年間、コーチを務めた後、三原脩近鉄監督(当時)の要請を受けて70年に近鉄入り。5人の監督の下で18年間、コーチを務め、87年オフに監督に就任。「トルネード投法」の野茂英雄投手(元ドジャース)らを育てた。89年にリーグ初優勝を飾ったが、巨人との日本シリーズでは3連勝後の4連敗。92年のシーズン終了後に勇退した。

 94年にオリックス監督に就任すると、振り子打法鈴木一朗外野手を見いだし、登録名を「イチロー」として開花させた。また、野手を投手に転向させたり、小刻みに継投する変幻自在なさい配は仰木マジックと呼ばれた。阪神・淡路大震災があった95年のシーズンには、「がんばろうKOBE」をユニホームの袖に掲げて、オリックスとしてパ・リーグ初制覇。翌年には、長嶋・巨人を破って日本一に輝き、01年に勇退した。

 04年に野球殿堂入り。がんとの闘病生活を克服し、昨年オフ、近鉄と合併した新生オリックスの監督を引き受け、球界史上最年長監督に。今季の成績は4位。体調を理由に今オフ、監督を退き、シニアアドバイザーに就任した。監督通算成績は988勝815敗53分。

うーん・・・、体調不良を理由に監督の座を退いた事は知ってましたが・・・。
あまり良くなかったんですね・・・。
あんなにファンサービス・メディアへの心配りを忘れない仰木さんが最近あまり露出がなかったんで、どうしたのかな?と思ってたんですが。



仰木監督と言えば、「野茂」「イチロー」の育ての親という事で有名ですけど、
オールド野球ファンの私はむしろ
「89年の日本シリーズ
の事思い出しますね。
あの時は近鉄が圧勝で3連勝して一気に対戦相手の巨人を追い詰めたんですよね。
でそこで試合後のインタビューで加藤って投手が
「巨人よりロッテの方が強かった」
っ言ったのを受けて仰木監督
パリーグの球団の方が強かった」
とか言っちゃって・・・、で結果はご存知の通りその発言が巨人ナインの怒りを買って
巨人の四連勝・逆転日本一
に繋がっちゃう訳ですが・・・。
余計な事言わなきゃ良いのに、と思いましたけど、なんか逆にそう言う所が人間臭くて面白かったですね。
現役時代もそうだったらしいですが、どちらかというと理詰めの監督じゃなくて
「感覚・感性の監督」
って感じでしたね。堅苦しい職人してない、
「おしゃれでダンディな野球人」
な感じがしましたね。
選手たちにとって、個々人の個性を大事にしてくれる、見守ってくれる
「気さくな親父さん」
だったみたいですね。
そういった人柄の監督だからこそ、数々の名選手が監督の元で生まれたんでしょう



もう一つ思い出すのが数年前金村義明さんが言ってた仰木監督とのエピソードですね。
たしかジャンクスポーツだったと思うんですが、

「あの人(仰木監督)はすごいですよ。
以前、電話もらって、飲みに誘われて、で行って一緒に朝まで飲んだんですよ。
それから終わって、帰って、でその日の夜何気にニュース見たら、
「シアトルからイチロー選手にインタビュー」
って内容で仰木さんが生放送でインタビューしてるじゃないですか!
びっくりしましたよ。この人は化けもんだって、60過ぎのおじさんですよ。やんちゃな人ですわ。」

すごいなーと思いましたね。タフな人だったんですね。
でもほんとこういうエピソードからも感じますが、
選手達の育成だけじゃなく、人間としての交流も大事にした人だったんですね。選手達にとって
「親父であり、頼れる友人でもある指導者」
だったんでしょう。
改めて、偉大な指導者を失ったんだなと感じると共に、ご冥福をお祈りします。