三国志昏君代表は?

あー疲れた。でも今日も今日とて三国志
我ながらなんで今更これだけはまるんだろ?昔から
「皆がやってる時はやらずにブームが過ぎてからはまる」
事が多かったんで(笑)。
曹操でプレー中。現在順調に勢力拡大中。「関羽張飛劉備」も配下に加わったし、次の目標は孫策
袁紹とは和して、封じこめていってます。
「最後の敵は袁紹
に決めてますんで。ただ封じこめた分、最終決戦の時にはすごい国力になってそうな・・・。
まあ歯ごたえがあって良いかも?
ともかく次は南征だぜー!
大陸を南東から制覇していこうと思ってます。



今夜もちょこっと三国志フリークなら誰でも知ってる豆知識。
皆様は
三国志の君主で暴君・暗君・昏王」
というと誰を思い浮かべますか?董卓劉禅(暴ではないですが)?孫皓
確かに彼らの暴虐・暗愚ぶりを示すエピソードには事欠きませんね。
でも私は昏君NO.1
孫権
を推します。「えっ!」と意外に思われるかもしれません。
孫権と言えば、

・父孫堅、兄孫策の遺志を継ぎ、勇将を称え、賢者を厚く遇し孫呉の地盤を固めた名君

というイメージが一般的です。演義でも才能ある者を抜擢し、柔軟な対応力・的確な判断で孫呉の地位を揺るぎ無い物にした名君。後の三国鼎立にとって欠かせない重要人物として描かれてます。
ですが史書の記述を見てみると、実は彼はかなり「昏君」であった疑いが濃厚です(笑)。
特に孫権は当時としてはかなり高齢の72歳まで生きたんですが、晩年には老害’とでも言うべき乱行・愚行が目立ちます。
孫権陛下の御事跡を色々挙げてみますと

酒乱で、宴会参加者が酔いつぶれると水をかけてまで飲ませた。これが元で参謀の張昭と幾度となく衝突している。
讒言を信じて、ねい臣を重用して、多くの臣下を無実の罪で断罪した。
周喩の遺族も流罪にされたし、陸遜にいたっては63まで呉に忠節を尽くしたのに、後継者問題で正論を説いて孫権を諌めた事に対して問責使を送られて‘憤死’してますし・・・。
女色にふけり、妻妾を多く持ち、数多くの子供を残した。それが故に孫権存命中から
「後継者争い」
が絶えなかった。死後もそれは続き、呉内部は混乱した。
・晩年には政務をおろそかにして、神人を名乗る人物(要するに新興宗教?)を信じて、恩恵を得ようとした

とにかく、かなりひどい事跡が多いんですね。
他にも「夷州人狩りとか「遼東との連合騒動」なんかでも
「昏君ぶり」
を遺憾なく発揮してます(笑)。
(この「夷州人狩り」と「遼東騒動」については長いんで、明日記述します。)
「遼東騒動」では張昭と孫権の間で
「頑固じじいの壮絶な意地の張り合い」
が繰り広げられて、笑えるエピソードですが。
蒼天航路でも触れられてますよね。
「互いの品格を疑いたくなるような争い」
「笑い話さながらに読める」
って(笑)。



各書の記述によるとほんと、孫権の悪政、特に老年期の老害は酷かったらしく
正史の編者である陳寿
「呉の滅亡の遠因は孫権の失政にあった」
と指摘してます。
さしずめ後の末代皇帝孫皓
「老年の孫権劣化コピー
だったのかもしれませんね。
孫皓も即位当時は名君だったらしいですから。それがだんだん酒・女に溺れるようになってだんだんと・・・と言う事らしいですからね。
孫権が長生きし過ぎて老醜を晒した事考えると
孫堅孫策も長生きしてたらどうなってたか?」
と考えちゃいますね。同じように老害もたらして
「孫一族は酒乱の血筋」
なんて後世言われる事になったかも・・・。
まあ孫策
「颯爽たる若武者のイメージ」
考えると、老醜晒す姿は嫌ですけどね。


さてこれで、お目汚しでございました。でも明日もちょこっと書いてみようかと思ってます。
よろしければお付き合いのほどを・・・。では三国世界にもどりまーす(笑)。
コンゴトモヨロシク・・・。