吸血幻想Ⅱ

 現在の吸血鬼の定型イメージというのはさんざん繰り返してますが「ブラム・ストーカー」によって創造されたものですが、有名な話として最初の吸血鬼のモデルは「串刺し公」とよばれた「ワラキア公ブラド・ツェペシュ」と言われてます。吸血鬼の故郷?というとルーマニアと連想されるのもこのへんから来てるようですが。彼は自国を守るために敵に対して苛烈な責めを与えたそうですが、「街道の両側に立てた杭に敵捕虜を串刺しにした。」なんてとこはちょっといきすぎな感がありますが。こういうシーンは漫画「ベルセルク」にもありました。あの漫画は勿論フィクションですが、中世ヨーロッパの「暗黒の時代」のイメージ良く描けてると思います。話がそれた。
 中世のヨーロッパは混沌が満ち溢れていて現実と非現実の境界が曖昧でした、国家にも、人の心にも・・・。そして「魔女」「悪魔」だとか「人狼」そして「吸血鬼」といったこの世ならざる存在が生み出されていく訳です(その以前から民間伝承的なものは存在しましたが)。もっともそういう存在の多くは「宗教」が「悪を定義づけるため」「都合の悪い事を押しつけるため」「人々の恐怖心をあおる=宗教へ依存させるため」などの理由で広められた訳ですが。
所謂
相反する・敵対する悪が存在してはじめて正義は成り立つ。」
と言うところでしょうか。もっとも当時の宗教は正義などとは程遠いものになっていたようですが。またまた脱線した(笑)。
 で本題に入るんですが(長かった)そのイメージ形成に宗教が絡んだ結果「吸血鬼」の弱点「十字架」「聖水」「白木の杭」なんてのは導入された訳です(にんにくはどうなんでしょう?流れ水わたれないってのも、カナズチ?)。そして
他者の命を奪って自らの不死を保つ。生者を汚し、邪悪にそめる者
になったんですね。でもってその存在には背徳・禁忌の感覚が付きまとう訳ですが。しかしそれは逆に言うとすべてその中に「変身・破壊願望」を秘めている人類にとっては
憧れに似た「闇の誘惑」に満ちているんですよね。
 かくいう私めも「吸血鬼に襲われ邪悪にそまった女性が仲間を増やし、闇を広げる」なんて妄想展開がたまらなく好きなんですが。私も「闇の誘惑」に囚われた人間なのかも・・・なんて。教師に姿を変えた女吸血鬼が赴任した学園の生徒・教師を下僕に変えて支配する。最後は下僕達をかしづかせた前で、グラスで乾杯するなんて展開妄想してハァハァ。
 しかし「闇の王」とか言われたりするのに吸血鬼って弱点満載なんですよね。上に挙げたもの以外でも「日光に当たると消滅。」「呼ばれないと相手の家に入れない。」なんか引っ込み思案のひきこもりヲタクかよって・・・、私だ(笑)。数多くの吸血鬼作品の中には亜流とか、弱点を克服なさった努力家もいるようですが(笑)。あと近年の作品は不死細胞とか特殊な血液なんていう科学的設定・考証とりいれた物が多いですね。人々の「信仰心」の薄れと共に「十字架」は通用しなくなってしまったようで。余談ですが「寝てる間に胸に白木の杭打ちこめば滅びる」って・・・、
そんなもん誰だって死ぬっつーのーーーーーーー。」
ですよね。
 まあこんなとこで、途中で脱線しすぎてまとまりがなくなってしまいましたが、私の構成力ではこれが限界です。ちょっと「宗教」の話にも触れたかったんですが、それはまたの機会に。コアかつへたれかつへんてこな駄文につきあってくださってありがとうございました。ではまたコンゴトモヨロシク・・・。